原民喜『忘れがたみ』と聖書明治元訳
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原民喜は自分にとって特別な作家で、二十代の一時期、繰り返し読んでいました。大好きでした。今でも好きです。滅多に手に取らなくはなりましたが。
小説だけを読み、エッセイや伝記などを読まないという昔からの悪癖のせいで、僕は長い間、彼が自殺したことを知りませんでした。その事実を知った当初こそ驚きましたが、すぐに「そうするしかなかった人」のようにも思えました。そしてそのように思わせてしまうそのこと自体を一層痛ましく感じました。
中央線の吉祥寺・西荻窪間の線路に横になる、というやり方は、自死の方法として随分と苦しいものではないでしょうか。想像するしかありませんが、身体がちぎれたり、つぶれたり、痛みを伴うことは間違いないでしょう。それに加えて、汽車がやってくるまで、長い間その恐怖と戦わなくてはいけません。
自死を企てる時、人は一般に、一瞬で終わるものだとか、苦しまずに済むようなやり方を探すと思います。すぐに気絶できるとか、意識を失ったり、眠るような死を願います。
でも原民喜はそうではありませんでした。もちろん酔っ払って、たまたま気持ちよくなって、寝そべっただけかもしれません。でも僕は、彼がずっと自殺を企てていて、かつそれを悪だとも見なしていて、だから自らを手に掛ける時は、辛く苦しい方法でなければならないと決めていたのではないかと思うのです。自分は死ぬにあたって、その程度の罰は受けなければならないと考えていたのではないかと。
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原民喜には『美しき死の岸に』という、同タイトルの小品や『心願の国』を含む14の連作を集めた小説があります。『永遠のみどり』と並んで、僕の最も好きな作品です。
その冒頭『忘れがたみ』に、マタイによる福音書の一節が登場します。病床にあった妻が手帳に書き付けたものです。
蓋もし衣にだにも捫らば愈んと意へばなり
イエスふりかへり婦を見て曰けるは
女よ心安かれ爾の信仰なんぢを愈せり
即ち婦この時より愈
文語訳の聖書として現在書店に並んでいるのは、大正訳と呼ばれるものだそうです。以前ページを覗いてみた時、原民喜が引用したこの部分の訳が違っていたのでずっと気になっていましたが、最近になって、明治元訳という翻訳があることを知りました。ひょっとしてと思い当該箇所を見て、ああこれだったのかと、胸のつかえが取れるような気がしたのです。
大正改訳は1917年に既に出版されているようなので、原民喜は明治元訳に思い入れがあったのかもしれません。大正改訳はイエスに対して尊敬語を使っているのが目を引きます。明治元訳の方が文体がすっきりしていて、大正訳より僕も好きです。
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どんな夫婦でもどちらかが先立たなければなりませんが、それは随分と残酷な仕打ちだと、ずっと前から思っています。僕は妻がいなくなった後の自分を想像すると暗澹とした気分になるし、自分がいなくなった後の妻のことを想像してとても心配になります。
少なくとも僕は健康に留意して、妻よりも長生きがしたいと思っています。
- 作者: 原民喜
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1995/07
- メディア: 文庫
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以下のサイトで両者の訳が見られます。